罪悪感



神さま、教えて下さい。
わたし自身を生きるにあたって、周りの者を悲しませる過程(結果ではなく)があり、罪悪感を感じてしまいます。周りの人の要求と、わたし自身の要求は現状では相反しています。周りの人の要求に応えられるのに(レベルとして)、自分の要求を優先したばかりに、要求に応じれない場合、罪悪感を感じてしまいます。

どこから罪悪感は来るのですか?どうして感じてしまうのですか?





罪悪感というのは、あなたが人生を生きる基準をどこに置いて、その中での自分の位置をどこに置くかによって決まる。あなたがあなた自身を生きるということにあなたの人生の基準を合わせれば、人の要求に応えるということは相反することの方が多いだろう。だが、あなたがあなたを生きるということを心に決めてしっかり理解していれば、罪悪感は感じなくても済むはずだ。

こちらも立ててあちらも立てたい、だが手が一つしかない、だから片方は立たなかった、立たなかった方にはとてもすまないと思う、こういう思考が罪悪感だね。これは選択の意思の問題だ。「NO」を言うためには、まず「YES」を言わなければならない。あなたが人生を生きるために大切だと思っていることに対して「YES」という意思表示をはっきりすれば、それに反するものには「NO」が言える。だから、こちらもあちらもとはならないはずだ。

罪悪感についてのもう一つの要素は、「希望と期待」だ。あなたはあなたの人生で、期待と希望とどちらを選択するだろうか。「期待」いう言葉には受動的な意味が多く含まれる。これが出来るようになることを期待するとか、あの人がこうなることを期待するという風に、誰かがそうしてくれたら嬉しいという意味だ。三人称からセンテンスが始まることが多い。「希望」は能動的な言葉だ。私はこれを希望する、私はこうなることを希望する、という具合に必ず一人称から始まるよね。
他人の期待を満たすことを自分の人生に取り入れると、この期待という言葉のマジックに自分の希望を無意識の内に犠牲にしてしまう。あの人が嫌な思いをするなら自分が合わせよう、という具合だ。そのとき、本当のあなたは人の期待などどうでもいいことを知っているから、サインを送る。その一つが罪悪感だ。自分に対して何に「YES」を言い、何に「NO」を言うかが曖昧だと、自分を通せば人に罪悪感を感じるし、人を優先させれば自分に対して罪悪感を感じる。

あなたはどうしたいのだろうか。広く言えば、全ての人が自分に正直になって、お互いが誠実に生きているという認識に立てば、自分の思うことを主張しても誰もそれに反対しないし、罪悪感など感じなくなる。お互いがお互いを認めているのだから。

まず、あなたの希望を明確にしなさい。あなたの目標を明確にしなさい。あなたがあなたに正直になることで、他の人にも誠実になることが出来ることを理解しなさい。あなたが曖昧な義務感や思いやりで他人に合わせても、その人に感動を与えることは出来ないことを理解しなさい。そういう形の人間関係はあなたにとっても他の人にとっても重要ではないことを理解しなさい。
あなたがあなたに正直になって人に対したとき、あなたがあなた自身に誠実であれば、人は必ずあなたの生き方に感動し、理解してくれる。魂は見えないものから多くを感じる。本当のあなたを自信を持って実現しなさい。それがあなたの求めるものだ。既成概念から自分を解放し、自由に生きていいのだよ。あなたの人生はあなたのものだ。それを確認するために、あなたはここへ来たのだから。











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