幸せは心の状態



「我は汝をどのような性質でも愛し、汝は我をどのような性質でも愛す」
目標であり、最後に行き着きたいと思う存在でもあります。

神さまにお聞きしたいことは、この肉体的な次元において、僕が幸せを経験するときは対なる不幸を経験してくれる人が必要です。僕が愛であるなら、あなたは不安である必要があるでしょう。それが問題なのです。今の一般常識で不幸であることを心から進んで表現してくれる人はいないでしょ。

「我は汝をどのような性質でも愛し、汝は我をどのような性質でも愛す」というのは、肉体的な世界において、どういう存在になるのでしょうか。愛ですか、不安ですか、それとも無でしょうか。
すべての源である神は、愛の存在であり不安でもあり無でもある。でも、本当にあるものは愛しかないといいます。肉体的な世界で神の愛を表現するのに、僕が今最も考えられる最高の存在が上で書いた「我は汝を・・・」です。

メッセージ待ってます。







まずこれを言っておこう。あなたが幸せになるために、不幸になる人は必要ない。そんな必要は全くないということだ。何故なら幸せというものは心の状態だからだ。あなた一人で幸せになることが出来る。
もし幸せになるために不幸が必要であれば、それは幸せではなく優越感だ。優越感には比較対照が必要だ。あなたより劣っているという存在によって、あなたは優越という存在になれる。だが、幸せというものはそういうものではないのだよ。不幸があって幸せがあるのではなく、幸せという状態は単体で存在出来るし、幸せは増幅効果があるから、幸せな人は他の人も幸せにする。幸せのために不幸な人は必要ない。
まずこれを理解しなければ、あなたの言う無条件の愛は理解出来ないだろう。












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