自由な愛



私は、未婚の女性ですが、とても好きな人がいます。まだ所詮男女の関係というのはありません。お互い惹かれ合って、愛し合っているのは実感できるのですが、お互い、感情を、最後の最後でブレーキをかけてしまいます。それはきっと、彼が既婚者だという事にあると思います。そして彼は、人並み以上に分別のある、私を大事に想ってくれる人だから・・・。

なぜ、私が生まれて初めて、これ以上はないくらい愛した人が既婚者であったのか・・・私は自分の育った家庭環境から、「愛している夫を奪われる妻」の立場がとてもよく解り、その涙も哀しみも痛いほど実感でき、絶対に自分は、自分だけは、そんなことをすまい・・・するはずもないし、考えられないわ・・・と思っていたのに。

ショックです。

私は彼を愛しています。彼が毎日、幸せに喜びに溢れて、自分の夢に向かって、日々暮らしていけるのなら、それで私も充分幸せ。何も結婚だの、肉体関係を、切に望んでいるのではありません。後者は、彼の場合、私にはわかりませんが・・・いつも必死に我慢しているのが伝わります。

このまま時々会い続け、彼を愛し続けていいのだろうか・・・??でもそれは、彼の結婚相手を、たとえその人が私達のことを知らなくても、魂のレベルで、きっと悲しませるんじゃないか・・・って。人の心は変わるけれど、私の彼への愛情は落ち着くことはあっても冷めることはない類のものだと思うからです。でもそれは、この場合、彼が既婚者だという場合、罪なのでしょうか?許されないことなのでしょうか?

神様、そのうち私の前に、彼以上に心惹かれる独身者を寄越してくださいね。





愛に制限はない。あなたはどんな人もあなたが愛したい方法で愛したいときに愛することができる。そしてもちろんそれは祝福されることだ。罪ではないよ。愛とは限りなく自由だ。愛に制限をすることは非常に不自然なことで、その制限に押し込めようとすればするほど、愛の形は歪むことになるね。だから自由に愛しなさい。愛はあなた自身の魂の表現だ。なにも気にすることはない。自由にいつでも愛しなさい。あなたの愛する相手も同じだ。自由に愛を表現できる。限りない自由の中でしか本当の愛を表現することはできない。あなたの愛する相手と結婚している人も同じだ。まったくなんの制約も受けずに、愛を表現できる。

ではここで問題だ。みんなが自由に愛を表現したとき、誰か悲しむ人はいるのかな。あなたは同時に何人もの人を愛することが受け入れられるだろうか。そういうことはないと考えるのだろうか。愛は限りなく自由だから、どんな形でも存在するよ。あなたの愛する人があなた以外の別の人も同じように愛したら、どう感じるだろう。祝福できるだろうか。あなたの愛する人が他の人を愛したからといって、あなたへの愛が減る訳ではないよ。

もし、あなたがあなたの愛する人が他の人を愛することを受け入れられないと思うとき、それは本質的な愛の表現とは少し違うね。嫉妬という感情は、愛から派生するが、愛そのものではない。自分だけのものにしたいという所有欲から発生する感情だ。これはつらいかもしれないがよく聞きなさい。愛と所有は違うものだ。愛は常に自由を選択するが、所有は常に制限を選択する。愛は常に自由を与えるが、所有は常に自由を奪う。すべては愛から派生しているが、あなたはどのレベルの愛を経験したいのだろうか。そしてどういう状況であなたは幸せを感じるのだろう。

あなたは今、こういうことを自分の体験を通じて思い出しているんだよ。










戻る