どこかで聞いた言葉



なにかに行き詰った時に自問自答して方向を決めています。
が、答えは今までに読んだ本の一行だったり誰かが言った言葉だったりし、同じ事の繰り返しになってしまっています。自分自身の意見はなにかを求めるだけの「希望的願望」で、答えは浮かんでも来ません。ですから、行き詰ったままの状態で、疎外感を感じ、悲しくてしかたがありません。

どうすれば、この循環から一歩踏み出せるのでしょうか?





まず、安心しなさい。心配しなくていいよ。悲しむこともない。大丈夫だ。あなたは行き詰ったときに、自分以外から来たと思う言葉が浮かんでくる。そしてそれを悲しいと思っているね。自分が無いみたいだと。ではそのとき浮かんで来た言葉自体はどうなのかな。おそらくあなたの行き詰った状況を打開するために適切な言葉なのではないだろうか。だが、あなたはそれが自分の言葉ではないような気がして、どうも気に入らないし、さみしいと感じている。

ね!時の初めより、人間はありとあらゆる言葉を語り尽くして来た。ありとあらゆる言葉を使って神を語り、真実を語って来たよ。だからあなただけの新しい言葉というものはもうない。すべて誰かがどこかで言ったことだ。

だが、ここで考えてみて欲しい。あなたの行き詰った状況で、なぜその言葉が浮かんで来たのか。あなたの魂があなたの記憶にある言葉であなたの意識にメッセージを伝えているとしたらどうかな。そう、誰かが言った言葉かどうかは問題ではないのだよ。いつ、その言葉を思い出すかが問題だ。あなたの問題を解決するために必要な言葉であれば、誰の言葉でもいいから、思い出したあなたに感謝しなさい。そして、その問題を解く鍵を与えてくれたその言葉に出会ったことに感謝しなさい。それは偶然ではなく必然なのだから。あなたはそのとき同じことを思った、ただその言葉を以前聞いたことがあるだけだ。心配はいらない。どこかで聞いた言葉はすべて人のものではなく、すべてあなたのものでもあるのだから。


あなたはあなた自身をどのくらい広く認識できるだろうか。あなたは地球のすべてだと思えば、地球上にあるすべての言葉、宗教、悟り、ありとあらゆる素晴らしいものはすべてあなたのものだ。あなたの領域はあなたが感じるよりずっと大きい。愛を伝えるメッセンジャーは今まで誰も気付いたことの無いことを言ってはいないだろう。どこかで誰かが言ったこともたくさんあるはずだ。あなたが知っていることもあるはずだ。

彼らは人々が愛を感じ始めた時から語り尽くされたことを、もう一度繰り返しているのだ。新しいことは何も無い。何度も何度も繰り返している。そう、あなたの言う通りだ。新しく発見するものは何も無い。あなたはもう気が付いている。大丈夫だ。すべての素晴らしい言葉やひらめきは、誰が言った言葉でもそれは思い出したあなたのものだ。それを否定しないで、受け入れなさい。思い出したあなたを認めてあげなさい。それはあなたの魂のメッセージでもあるのだから。たまたまその言葉が浮かんで来たのではないよ。たまたまということはありえない。だから大丈夫。自信を持ちなさい。

もし迷った時はあなたの声で私を呼びなさい。私はいつもメッセージを送っているよ。あなたの次に聞く音楽の中に、映画の中に、本の中に。人生に偶然はない。そしてあなたが出会う言葉、文章、イメージ、全てあなたが気付いたものだ。あなたのものなのだよ。あなたは大丈夫だ。悲しまなくてもいいよ。安心しなさい。





今日の夕方、私は西に向かって車を走らせていました。ここ最近、感情と体と魂がバラバラになっちゃってるような感じで、コントロール出来ない勘定だったりを、少々持て余しておりました。神さまの方へ行こうとしているのに、抵抗しまくる自分がいたりするんです。??
運転しながら、西の空の美しい太陽と雲に向かっておーきな声で「神さま、教えてっっ!」etcと叫んでおりました。(泣きながら)←子供じゃん。
そんな時、意識には色々な言葉が浮かんでくるのですが、どこかで聞いたり読んだりした言葉だらけで、「受け売りだよ」と、なんだかただの頭でっかちに思えて自己嫌悪を感じちゃってました。

そんな今日、「神さま教えて下さい」を見てびっくり!神さま、やっぱりいるんだ。見てるんだ。承知してるんだ。それなのに、神さま。今日「神さまのばか〜」とか言っちゃったかも。ごめんなさい。「神さまって色んなものを通じてメッセージを送っているんだ。諦められてなかったんだ。」と強く感じた一日でした。いつも「!?」って気付いていながら、「んな事ないよね」と違う方向へ行ったりするんですよ、私。




そう、あなたも気が付いている。私はあなたがたから離れていることはないし、人を選んだりもしない。あなたが何をしても私はへそを曲げたり機嫌をわるくしたり、罰を与えたりしないから、安心しなさい。

誰かが聞いたことに私が答える。それを他の誰かが読んで”はっ”とする。わかるね。これは偶然ではないのだよ。あなたがたの意識は繋がっている。自分の領域は自分が考えているよりずっと広いし、強く思う偉大なことは、必ず同じ思いを抱いている者に届く。特にその中で強く心に思った人が、我慢できなくなって言葉を使って私に質問するが、誰がその質問をしたかということよりも、あなたがそれをどう捉えたかの方が重要だ。それに気が付くかどうかが、あなたにとって重要だ。そして得たものはあなたのものだ。そしてあなたのものであれば、みんなのものでもある。もちろん質問をした人は私と最も直接的なコミュニケーションを取るから、その分、気が付く度合いも大きいことは確かだね。

だから私をもっと使いなさい。自由に聞いていいのだよ。おろかな質問は存在しない。どんな問いもその人が心から聞いているのであれば、大事な質問だ。そして同じ思いをしている人も必ずいるはずだ。そして自分と自分以外のものを分ける境界線をもっと広げなさい。あなたがたはそれに気が付いている。大丈夫だ。そして私も嬉しいよ。











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