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林女のちょっとだけめらんこりぃ (2000〜2002より抜粋)
■2000/10/12 (木) 林女のちょっとだけめらんこりぃ。オープン!
林女のちょっとだけめらんこぃ。がオープンした様ですよー(3日坊主にならなきゃいいけど・・)
■2000/10/12 (木) 初めてのページには。
吉祥寺の雑踏を通り抜け、家路へと急ぐ途中、空にはとってもきれいなお月さまが、でも神々しい姿でぽっかり浮かんでおりました。
今日は10月にしては異常に暑く、皆半袖で、ノースリーブの人もいたのでした。
西友の6Fの百円コーナーで、「高橋竹山の津軽三味線」なるCDを見つけ!、(いやぁ〜、ついにCDも百円かぁ〜)などと内心呆れつつ、百円なので買ってみる(笑)
地下の食料品売り場で、りんごの「つがる」を見つけ買ってみる。これまた百円。
同じ百円で、CDの「つがる三味線」とりんごの「つがる」を買ったことが、なんとも愉快。
CDの音なんか、この際どーでもいいことなのです。
■2000/10/12 (木) 素朴画
ユーゴスラビアの一般市民の描く絵のことが、「素朴画」の名で紹介されていた。
素人とは言え、それなりに第一人者がいるらしい。
う〜む・・・、いい絵である。
彼の描くものは、とにかく何でも丸い。
山も丸けりゃ、その上に浮かんでいる雲も、みんな丸くてコロコロしている。
花や一枚一枚の花びらも、どれもこれもみんなまぁるっこい。
「人間のつくるものはみんな角ばっているけど、自然のものは全て角が取れて丸いんだ・・」
彼の言葉もまぁるくて、暖ったかい。
■2000/10/14 (土) チャーミングな人。
4ヵ月程前に知り合った男性。
とても素直でチャーミング。
一流企業に勤めていることを鼻に掛けることもなく、知らないことを知らないと言える人。
「僕は女性には、誰にだって優しいよ。特に気に入った人にはね。」
彼と関わった女性は、誰もが大切にして貰えることに感激するだろう。 私もそう。
どうも、彼は私と恋をしたそうだ。
会話のちょっとした端々にそれを匂わせる。優しいセリフで。
彼は家庭を持っている。
家庭を捨てる訳にはいかないので重くならない恋を繰り返して来たと、言う。
「でもいつも僕は真剣に恋をして、相手のことだけを想ってる。相手のためなら何だって苦にならない・・・」
そして私に聞いた。
「こんな男は嫌いか?」
もちろん、私は「こんな男」は嫌いだ。
しかし、「この男」は好きである。
不倫に墜ちて行く女性というのは、或いは、こんな矛盾した気持ちと常に戦っているのかも知れない。
■2000/10/15 (日) 意味もなく
君が僕を知っている 作詞・作曲:忌野清志郎
今までして来た 悪い事だけで
僕が明日有名になっても
どうってことないぜ まるで気にしない
君が僕を知ってる
誰かが僕の邪魔をしても
きっと 君はいいこと思いつく
何でもないことで 僕を笑わせる
君が僕を知ってる
何から何まで 君がわかっていてくれる
僕のこと全て わかっていてくれる
離れ離れになんかなれないさ
何から何まで 君がわかっていてくれる
僕のこと全て わかっていてくれる
上から下まで全部 わかっていてくれる
僕のこと全て わかっていてくれる
わかっていてくれる わかっていてくれる
わかっていてくれる
■2000/10/16 (月) 金木犀
数日前、いきなり部屋の周りに甘い香りが漂って来た。
くちなしの花?と思いきや、近所の家の庭に、それはそれは立派な金木犀の木が二本並んでいるのに気付いた。
花は真っ盛り。
「オマエは金木犀の匂いも忘れたのか・・・」
ふと可笑しいような淋しいような、ちょっとおセンチな気分になった。
4年半程前まで住んでいた家に、やはり金木犀の木があった。
毎年、ある日突然その花を開かせ、甘い薫りで私を驚かせてくれた。
家族揃って、それなりに楽しかったあの日々。
もう遠い昔。
金木犀の薫りが胸に沁みた。
■2000/10/18 (水) 整形話から観相学。
お客さまと韓国の整形事情の話になった。
韓国では、日常茶飯事の様に整形が行われているらしい。
子供のためとあらば、親までこぞってやるそうな。
費用が安いので、日本からも大勢の女性達が韓国に渡り、手術を受けているようだ。
只、その際注意しなければいけないのは、韓国と日本間での美意識の違い。
韓国風美人になっても日本人の美意識に通用しなければ、やはり辛い。
「うわ〜ん、前の方がよかったぁ〜」と嘆いても、後の祭り。
ところで、美意識というのは民族によって(もちろん個人によって)差が際立つ。
マヤ文明に於いての美女の条件は「斜視」だったと言うが、これは医学的に言う「斜視」ではなく、いわゆる「下三白眼」だったのではないだろうか。
観相学では、白目部分の多い「下三白眼」「上三白眼」「四白眼」、それぞれが皆、「気性が荒い」「陰湿な」「狡猾な」などといった、余り良くない評価がされている。
ところが、女性の「下三白眼」だけが「男性を魅きつけるセックスアピールに富む」といった良い評価になる。
これは一体何故??
どの資料を読んでも載っていないので、私の独断と偏見で言わせて貰えば、これはセックス時の体位に関係するのではないだろうか。
いわゆる正常位において、男性から見た女性の目は皆、ある意味「下三白眼」に映る。
つまり「下三白眼」の女性を見ると、男性側は無意識にセックス時をイメージし、性本能を刺激されるのだと思う。
ついでに言うと、ハスキー声=セクシーというのもそれと同じだ。
ハスキーな声を聴くと、人は無意識にセックスしているところを想像してしまうのだ。
■2000/10/21 (土) 漆のテーブル
我が家に黒漆のテーブルがやって来た。
骨董屋で一目惚れして買ったもの。
で、これが何と!扇形をしている。
丁度、芯抜きの輪切りパイナップルを6等分した形。長崎の出島をふっくらさせた感じ、とでも言おうか。
漆の仕上がりと言い、黒の半透明の色感といい、もう見惚れてしまう。
小振りで繊細な外見には似合わないその重量感が、逸品振りを物語る。
探そうにも、こういった特殊なものに巡り逢うことは、そう滅多にはないだろう。
うぅ・・よくぞ私の所に来てくれた・・・
私は漆器が好きで、日常の食器にも漆器を使っているのだが、割れることもなく熱湯にも強い。
陶器と比べても、意外と扱い易く使い勝手も良いものだ。
■2000/10/24 (火) 休憩 その1.
「諸君!彼は、一見バカのように見える。
しかし、騙されてはいけない。
彼は本当にバカなのだ。」 ジャンジャン
■2000/10/25 (水) 語尾
私の田舎には、正直言ってキツイ性格の人が多い。
「言葉は文化」と言われるが、実際、方言自体に攻撃的な響きが感じられる。
例えば、共通語でいうところの「どこ行くの?」
私の田舎の方言では「どこ行くん?」となる。
短く言い切る上、語尾を下げて発音するため、かなり非難めいて聞こえる。
喧嘩を売っているのかと、思わず「どこへ行こうが私の勝手でしょ!」と切り返したくなってしまう。
一方、岡山県のある地方の言い回しを例に取ると、「どこ行きなさる?」となる。
「どこ行くん?」と
「どこ行きなさる?」
この二つの方言を比較した時、どちらの方言を話す地方に、より思いやりある文化が根付いているかは想像に難くない。
ところで普段余り意識されないことだが、語尾の上げ下げは意外とくせものだ。
地域上の習慣の違いはさて置き、個人的に語尾を下げて質問する癖の人がいるが、周りから攻撃的な人物と見られている可能性が高い。
本人は単なる質問・疑問のつもりで口にしていても、相手にストレートに伝わっているとは限らない。
語尾を下げて尋ねることで、批評・非難・攻撃の意味合いを帯びてしまう。
結果、あの人はキツイだとか辛辣だという、損な評価を受けることになる。
自分の印象を平和的なもの、温厚なものにしたければ、些細なことだが、疑問・質問は語尾を上げることを心掛けよう。
■2000/10/26 (木) 秋のひととき。
清々しい秋の陽気に誘われて、目黒の庭園美術館にフラリと足を向けてみる。
アール・デコ調の空間は結構私の趣味に合っていて、客をもてなす主人になった錯覚を暫し楽しむ。
それにしても、天井が高い。
この建物がそもそも美術館としてではなく、一家族の為に、それも70年近くも前に建てられたという事実に一瞬、目眩を覚える。
(昭和記念公園のアホみたいなダダッ広さを考えたら、ま、許せるか・・)
トトロに似た猫が、中庭でこっそり用を足している。
茶室の傍らを流れる水のせせらぎに、都会の喧騒が次第に遠のいて行く・・・・
(自分の趣味をとことん追及し自宅建設に熱い思いを傾けた内親王は、しかし完成半年後、42歳の若さで亡くなったそうです。)
■2000/10/30 (月) 感動を流奈ちゃんの詩にかえて。
最近TVを観て感動することが多い。
今日も単純に感動してしまった。。
昔アメリカの「排日」拠点だった地方を、今「拝日」に変えようと頑張っている人達がいる。
それも自分達が丹精込めて栽培した「花」を通して・・・・
感動を言葉に置き換えようとしたが、何か安っぽくなりそうなので、やめた。
代りに大好きな、日木流奈ちゃんの詩を。
世界中の魔法と宇宙の真法(まほう)を集めてみましょう。
私の周りはみんな真法。
私のウチに来る人はみんなみんな、持ってる羽を隠してる。
でも私は見つけるの。
そしてポンポンと、隠れている羽に合図する。
私のウチを出るときはみんな宙を翔んでるの。
フワフワ、フワフワ、翔んでるの。
ホラ、みんな出し惜しみしないで、
隠さないで、これからも生きてくださいネ。
あれ?
でも、まだ気づいていない人がいる。
自分の羽に気づいていない人がいる。
困ったナ〜。
奇跡はいつでもあなたのもの。
真法(まほう)はいつでもあなたのもの。
だれもが起こせる楽しい世界。
夢見るだけでいい。
楽しむだけでいい。
ここはそういう世界なの、み〜んな忘れているけれど。
私はきょうもリモコンスイッチ、片手に携え、
みんなの羽を引き出すの。
忙しくって、とっても楽しい。
み〜んな天使。
世界は魔法、宇宙は真法(まほう)。
(OnLine Luna 「詩集」より)
■2000/11/03 (金) 抑揚
毎晩、電話にてご相談をお受けしていますが、ご相談者の精神状態は声と話し方で大体分かるものです。
要注意状態と私が見なす目安は、声のか細さに加え、抑揚(アクセント)がほとんどないということでしょうか。
抑揚がないため、覇気が全く感じられません。
ところで、抑揚が強い話し方は本人のパワーをアピールし、魅力を印象付けます。
著名な例を挙げると、ヒトラーしかりキング牧師しかり。
彼等の語りに共通しているのは、独特の強い抑揚でしょう。
演説テープを聞くと、聴衆のみならず本人さえも自分の演説に恍惚と聞き惚れた、というのが納得出来ます。
人は普通、「しゃべり・語り」を、理論・分析を司る「左脳」で聞いています。
ところが「抑揚の強いしゃべり」は、感覚・本能を司る「右脳」で聴きます。
その強い抑揚のため、聞き手の脳が「歌」として聴いてしまうのです。
こうして右脳を刺激された結果、聞き手は感情を大きく揺さぶられ、恍惚の境地へと入って行くのです。
■2000/11/05 (日) 休憩 その2
密教の教えには、「死ぬ瞬間の呼吸の仕方」、なるもんがあったりする。
さっすが〜
■2000/11/06 (月) 殺し文句
個人的に「アナタ」という響きに弱い。
元々私は、関西弁を母語として育った人間。
上京して初めて東京弁に接するまで、「アナタ」と人から呼ばれたことはなかった。
(ま、ほんの、たま〜にはあったけど。)
ぽっと出の田舎娘の目には、「アナタ」と呼ぶ男性は皆紳士に映った。
その人もやはり、私を「アナタ」と呼んだ。
「アナタは、」と語り掛ける彼は、とても上品だった。
ずっと歳の離れた人だったが、学生だった私は、自分が一人の大人として扱われている気分で満足だった。
知り合ってから、彼は度々連絡をくれた。
いつも彼は酔っていた。
その夜も電話があった。
「◯日に又、TELするから・・」、彼はそう言って電話を切った。
当日、私は連絡をずっと待ったが結局連絡はなく、数日後彼は何食わぬ顔で電話を掛けて来た。
私は少し感情的になった。
「電話をすると言われたら、言われた方は待っちゃうでしょ?!」
何と、彼は自分の言ったことを覚えていなかった。
「◯◯さんは、いつも酔っ払った時にしか電話を掛けて来ないけど、それって、とても失礼だよ!」
私は気持ちが収まらず、声を荒げて責め続けた。
彼はずっと黙って聞いていたが、私の言葉が終わるのを待って静かに言った。
「酔った時にしか本音が言えない男の気持ちを、あなたは考えたことがあるか。」
うら若い私の周りには素敵な男性もそれなりにいたが、未熟だった私はこの一言にオチてしまった。
■2000/11/10 (金) さかさ言葉ー愛しのおっしょさんー
先日、紅緒槙歩氏の日記を拝読させて貰った際、ペンネームの由来が書いてあって面白かった。
自分の名前を一度バラバラにして、再度名前らしきものを作り直したと言う。
それを読んで、遠い過去の記憶がフィード・バックして来た。
小学生の頃の話。
国語の授業で「さかさ言葉」を学習中のこと。
先生の指示で、「自分の名前を逆さにして、『さかさ言葉』をつくりましょう。」ということになった。
生徒たちはさっそく自分の名前をひらがなに直し、それを逆さに並べかえ始めた。
しばらくして、先生は教室の端の生徒から順に当てて行った。
「◯◯◯◯◯◯」「××××××」
当然、意味をなさない言葉や音が続く。
「次、近藤君。」
指名された近藤君、何故か恥ずかしそうにモジモジしている。
「お・・・・」
「えっ?何?聞こえないよ!」
皆が、一斉に近藤君に注目する。
「お・よ・・・こ」
「えっ?何?!もう一度、大きな声で!」
「おしよ うどんこ!!!」
教室は一瞬静まり返り、その後、爆笑の渦また渦!!
近藤君の顔はまっ赤っ赤。
彼の名前は「近藤芳雄」、こんどうよしお君と言いました。
その後、彼は女の子達から「おっしょさん」と呼ばれ、これまで以上に親しまれたのでした。
あぁ、愛しのおっしょさん。
■2000/11/13 (月) 言葉のイメージ
普段私達が何気なく口にしている言葉というものは、しかしその性格・影響力を知ってしまうと、気軽には口に出来なくなるでしょう。
言葉は決して侮れないものです。
使い方次第で、武器にも凶器にもなる両刃の剣です。
「言霊」という言葉があります。
言葉には魂が宿っている、という意味です。
事実言葉を発した瞬間、言葉は行動の方向付けをし、未来すら変えてしまう力があります。
言葉の性格に精通し言葉を自在に操ることが出来たなら、すなわち人を自在に操り、人生そのものを自在に操ることさえ可能でしょう。
人は言葉を受け取る時、意味そのものではなく言葉の持つイメージを受け取ります。
例えば、本番を目前に緊張している誰かの緊張をほぐしたいとします。
そんな時、あなたは相手にどんな言葉を掛けますか?
実はこの時、あなたは決して「緊張するな。」と言ってはいけません。
「リラックス。」若くは「落ち着いて。」と声を掛けなければなりません。
同じ意味ではないかと思われるかもしれませんが、相手に与えるイメージという点では全く異なります。
「緊張するな。」と言われると、言われた本人は「緊張」の言葉のイメージを受け取り、更に緊張してしまいます。
「緊張」の言葉に緊張してしまうのです。
同様に親が子供を躾る時、「嘘をついてはいけない。」と言うのも本当は間違いです。
子供に「嘘」というイメージが、インプットされてしまいます。
自分の子供に嘘をつくことを教えたい親はよもやいないでしょうから、ここは「いつも正直に。」が正しいでしょう。
又、奥様がご主人に「浮気はしないでね。」と囁くことは、ご主人に「浮気をしてね。」と暗示を掛けるのと同じこと。
「浮気」の言葉がご主人側にインプットされてしまうのです。
例を挙げればキリがありません。
言葉の持つ意味ではなく与えるイメージこそが重要である、ということを頭に入れておきましょう。
その上で言葉を発すれば、それだけであなたの言葉に数段の説得力、感化力が増すことは間違いありません。
■2000/11/19 (日) ロジック
図書館から借りて手付かずのままになっていた本の中の一冊を、手に取ってみた。
「論理力のある人が成功する」というタイトル。
大予言者と知られた、あの出口王仁三郎のひ孫に当たる人物が著者である。
プロローグでかなり期待させるものがあり一瞬色めき立ったが、本文は今までの職歴をなぞるのが中心で、少々期待外れに終わった。
しかし「世の中、ロジックを身につけた者とそうでない者との二つに分かれる」との一文には、痛く共感するものがあった。
「自分の周囲の感覚的な領域のみで生きている人間と、普遍的な世界に何かのきっかけで入り込んだ人間」との決定的な違い。その差はまさに天文学的なものだと感じる。
私は後者の「何かのきっかけで普遍的な世界に入り込んだ人間」の部類に入るのだろうが、今振り返ると、そのきっかけはある男性との出会いだった・・・・
彼は周りから鬼才・怪人と熱い注目を浴び、いつ会っても大勢の人間に取り囲まれていた。
彼との会話は初めから刺激的だった。
初めて二人きりになった時、彼はテーブルの上のライターを指差して言った。
「ここにライターがあるでしょ?
でもこのライターは、貴女があると思うからあるのであって、あると思わなければないものなんだよ・・」
彼のこの奇妙な発言を、私は持てるだけの知識で懸命に咀嚼しようとした。
考えてみれば、これが私の出会った生涯最初のロジックだったかも知れない。
「物事には表相的な部分だけではなく、その奥に隠された真理・法則がある」
そんなことさえ、当時の私は知らなかった。
結局彼との縁はその後も続くことになるのだが、今在る自分を思う時、彼との出会いも一つのロジックだった、と納得する自分がいる。
しかし、私が真にロジックというものを理解し普遍の別世界に身を置くためには、私はこの先、もう一人の男性との出会いを待たなければならなかった。
■2000/11/25 (土) 「五弁の花」
折り紙に凝ったことがある。
折り紙というのは意外に奥が深いもので、その神秘さと深淵さにハマッてしまった。
凝った当時、時間的余裕があったこともあり、寝食を惜しみ一日7〜8時間は折っていたと思う。
結局それなりに腕が上がり、折りたいものを創作で折れる程にもなった。
折り目を読んでイメージを膨らます段階には至らなかったものの、自分では納得行く域にまで達したと思う。
長い期間折り紙に触れることもなく、もうすっかり忘れてしまったが、今も一つ心に引っ掛かることがある。
それは「五弁の花」という既存作品のことだ。
五弁の花びらを持つ花が最後の一折りで匂い立つ様に姿を現わす、とても不思議で魅力的な作品のこと。
小学生でも折れる簡単な作品で、確か小中生向けの本に紹介されていたと思う。
簡単でありながら芸術とも言えるこの作品を、当時いくつ作っても飽きることはなかった。
考えてもみて欲しい。
四弁や六弁なら分かるが、奇数の五弁である。
それが紙を切ることもなく、四角い紙から、最後いきなりその優雅な姿を現わす。
まるで魔法。
その時の新鮮で優美な驚きと言ったらなかった。
しかし「五弁の花」の折り方が、今どこをどう探しても見つからない。
もう一度「五弁の花」を折りたい。
あの耽美な驚きに浸りたい・・・・
それが私の夢であり、たった一つの心残り。
■2000/11/28 (火) 休憩 その3
禅の命題
両手を打つと「パン!」と音がする。
では片手の音は?
■2001/09/03 (月) 9月17日、フリー活動開始3周年
9月17日は、私が占い会社に頼らず自力で営業活動(=宣伝・広告)を始めた日に当たります。
私にとって大きな意味を持つ日です。
三年前のこの日、私は自分の能力と勘だけを頼りに、一人舟を漕ぎ出しました。
結局私は、正味一年二ヵ月の間占い会社に所属していましたが、そこで私について下さったリピーターは400人に上りました。
自分を頼りにして下さる皆さまに、前夜そっと心の中で別れを告げました。
密かに、でも突然姿を消す不義理を詫びながら。
そして、私は前を向いて大樹の下を後にしました。
「今や、リスクを犯さないことが最大のリスクである。」
私は今、身を持ってそのことを証明出来た自信があります。
思い起こせば、必要経費三十万/月、の負担に耐えた年もありました。
占い師宣言をしてから5年弱という年月が夢に感じられる程、各々の過程を私なりに頑張って来ました。
それなりに色々あったけれど、紛れもなく今、私はこうやって存在しています。
(存在させてくれる皆さまあってのことですね。)
よくやったよ、オマエ・・・・
そんな訳で、九月の秋雨の時季は少々感傷的になってしまうのです。
■2001/09/21 (金) 祈りは万能か
皆で祈りましょう。祈っていれば大丈夫。祈るしかない・・・
どこかその言葉に違和感を感じてしまう私がいます。
祈りは果たして行動でしょうか。
祈りは単なる「状態」ではないでしょうか。
祈っている状態、願っている状態、望んでいる状態・・・・
それが心の底からにしろ、具体的な働き掛けをしている訳ではありません。
行動こそが求められる、そんな時に迷うことなく行動出来る自分でありたいと思うのです。
■2001/10/14 (日) 感動に潜む落し穴 ー戦争秘話に泣いてはいけないー
感動には人を突き動かすパワーがあります。
時に魔力として人の心の隙間を狙います。
ですから、これには感動してはいけない、感動するのは危険だというものが、中には存在します。
最たるものが、暴力や戦争もの。
たとえテーマが反戦であったとしても、甘美で切ない余韻が残るものは危険と言えます。
後々見た者の心に残るものは、反戦のテーマでも人殺しの恐怖でも目の前に繰り広げられた悲惨な戦禍でもなく、戦争への甘美な誘惑なのです。
同様に、アナタが避けたいものに(どんな形にせよ)、簡単に感動するのは危険です。
■2001/12/03 (月) すみれ
皇族の間では、調度品などに付ける目印を各々が持つ風習があるというが、それは大体植物の様だ。
もし私だったら何の花が嬉しいだろう・・、などとくだらないシュミレーションをしてみたが、どうもこれといった特定の植物が思い浮かばない。
ふと、随分昔に私がまだ中学生の頃、仲の良い友達同士で交した談笑を思い出した・・・・
私を含む女子4人で、「互いを花に例えれば何の花か?」ということをワイワイ言い合ったのだ。
その中のヒロコちゃんが私を例えて、「すみれ」と言った。
素朴な「すみれ」のイメージは自分にはないと思っていたので、ヒロコちゃんの一言は私には意外で、しかし「そういう見方をしてくれていたのか」と、内心嬉しかった。
「すみれ」と感じた理由を、ヒロコちゃんはえらく照れながら皆に説明していたが、彼女が何をどう説明したか、私の記憶にはない。
只、その時のヒロコちゃんのトレードマークのえくぼと満面の笑顔だけが、今も鮮明に記憶に残っている。
少し成長し、大胆な行動と華やかさで周りの注目を浴びていた私を、肌の白さと掛け「白薔薇さん」などと呼ぶ友人もいたが、「薔薇」のイメージも私の中ではちょっと違和感があった。
「薔薇」でもなく、と言って「百合」というおとなしいものでは決してない「自分自身」を、私は自分で掴み兼ねていた。
少女時代というのは、大体そういうものなのだろうが・・・・
私のことを「すみれ」と言ってひどく照れたあのヒロコちゃんが、幼い三児を残し子宮癌で亡くなったことを知ってから、早2年の月日が経つ。
■2002/01/28 (月) 筆跡学考察
以前、波動関連の書籍の中で、肉筆からその筆者の波動を測る旨を読んだことがあるが、私にとって納得のいくものだった。
その内容とは、道具を使って肉筆の波動を測り、筆者の霊的段階を細かくレベル分けするというものだった。
それまで抱いていた直感が確信に変わった気がして、我が意を得たりだった。
思うに、霊的段階がある一定のレベル以上になると、道具や器具を用いずとも、明らかな気として伝わって来るのではないだろうか。
優れたバランス感覚に則った、意識的に書くという作業が無意識の段階まで高められた風情の肉筆を目にする時、筆者の卓越した霊的品性を感じない訳にはいかない。
筆者の気迫や念も、文字自体から覇気として伝わって来るものだ。
「字には性格が表れる」というが、そこには性格などの範疇を越えた深遠なる世界が横たわっている。
普段そういった観点から人の肉筆を眺めているせいか、一つの学問としてアプローチを試みたという「現代筆跡学序論」(魚住和晃著)は、私としてはあと一歩踏み込みが欲しかった。
あくまで「学問」と称する以上、「筆跡」&「人生(生き様)」&「人格」を絡めた、広い視野に立ったスタンスの考察・分類化を期待したい。
呪術的な要素の強い「文字」というものをベースとしたものである限り、神的視野が不可欠となって来るだろう。
しかし、そもそも文字を書く機会がこうも少なくなって来ると、固有の筆跡の形成自体が危ぶまれる。
「見栄えのいい字を書くことで精一杯」から、「字を書くことだけで精一杯」な時代の到来もそう遠くない様な気がする。
現にこれまで「普段用」「お遊び用」「公式用」の三種の字体を書き分けていた私も、今やメモ書き時の流し書き以外はあまり書く機会もなく、「公式用」文字を書く機会を意図的に保っている状態だ。
こうして私の中の、そして世の中の既存の表現形態が一つ又一つと消えて行き、しかしそれに替わった新しい表現形式が負けじと生まれて来るのだろう。
良くも悪くも、それがご時勢というものなのだろうね。
■2002/02/02 (土) 現状維持は後退と知ろう
人間関係でも商売でも、
「相手との仲が今一歩深まらない。でも、特に悪くなった訳ではないからいいだろう。」
「お客が今一つ増えない。でも、特に減っている訳ではないからいいだろう。」
そう考えるのは、違います。
人と人とが関わる以上、関わる頻度が増えるに比例し、仲は深まって当たり前。お客さまは増えて当たり前。
「関係が深まらない」「お客が増えない」のは、どこかに何かしら問題があるということです。
一見「現状維持」は、実質は「後退」と知りましょう。
現状維持に胡坐をかくと、大切な本質を見誤まります。
■2002/02/12 (火) 四つめの人生
今世で三つめの人生を生きている(と感じている)私は、今、四つめの人生を目の前にしているのかも知れない。
『全てのことは最高のタイミングで訪れる』
言い古された言葉の意味を深く考えることもなく、やり過ごして来た日々。
私の意志一つで、それは始まる。
既に私の意志から神の御手に、その決定権は委ねられているのだろうか。
四つめの人生を、一体私は何者として生きるのか・・・・
始まってから、それは考えればよいこと。
それは考える必要もないこと。
神様、全てをあなたのエスコートのままに。
■2002/02/20 (水) 愛する人にオルフェウスを
オルゴール一つでこんなに日々の生活が変わるとは、思ってもいなかった。
朝に弱い私が、ここ最近はオルゴールのネジを巻きつつ、その音色に耳を傾けながら、朝から部屋の整頓やら床の拭き掃除に励んでいるのだから、自分でも驚く。
オルゴールと言っても、鍵盤の数が72弁の特殊なもの。
一般的なものは18弁というから、音域にして4倍。しかし音色の拡がりと深みは、それ以上のものを感じる。
曲目は、バッハンベルの「カノン」。
オルゴールにありがちなアクの強いアレンジもなく、ほぼ原曲通りに再現されている。
ピンを打った細長い筒が左右に3段階にスライドし、ロング演奏可能な仕組みとなっている。
スライドする際、一度だけ「カチャ」と音がし、これが何とも心地好い。
CDの音とも違う、まさに生演奏の迫力・醍醐味。
私の朝を劇的に変えた、72弁のオルゴール「オルフェウス」。
変えたのは多分朝だけではないことを感じつつ、今日も「カノン」に耳を傾ける・・・・
さぁ、あなたも愛する人に「オルフェウス」を贈ろう。
贈った瞬間、あなたの愛する人の人生が変わるだろう。
あなたは愛する人の一生の人になるだろう。
■2002/03/17 (日) 予感
しばらく後になって、「しみじみ優しいなぁ・・・」と感じる人がいる。
かたや後になって、「ひょっとしたら冷たい人かも・・・」と感じる人がいる。
人の優しさって何だろう。
皮膚からじわ〜っとハートに沁み入って来る・・・
そんな感覚を一瞬でも覚えたら、人はもうその優しさから逃れられないのかも知れない。
海綿体に水が染み込むように、ハートに優しさが沁み入って来た日。
■2002/03/31 (日) 抱負
今年に入って、自分の中でクローズアップして来たことがある。
新たな目標というか、柄にもなく新年の始まりに抱負というものを抱いた。
ご相談者の中には、精神論や根性論では到底解決出来ない重い現実問題を抱えた人達がいる。
そういった人達の為に具体的な力になりたい、どうにかなれないか・・・・
私なら出来るのではないか、と思う。
人様を救おうなどと大きな口をたたくつもりはないが、私が私として活かされるべき道はまだまだこれからだと思う。
■2002/04/02 (火) 悲哀
先の日記に「優しさって何だろう・・・」と書いたが、考えるまでもなく答は出ていた。
私がしみじみ優しいなぁ・・・と感じる人は、例外なく人生の悲哀を知っている人達だった。
細かい事情はその人に寄りけりだが、人生の「まさか」の場面に放り出され、驚愕し深手を負った経験のある人。
人生の儚さが身に沁みてわかっている人。
表面的なものとは違う本当の優しさというのは、人生の悲哀を知っているところから生まれる「慈愛」なのだと思う。
そして、そんな人たちは黙っていても互いの悲哀と優しさを感じ合う。
■2002/04/05 (金) がんばって!
たまに心臓に悪い手紙が届く。
今日も、とある法律事務所からの封書がポストに入っているのを見つけ、途端に鼓動が速まった。
イッタイナニ? ナンナノ・・・・・?
文面に目を通すと、そこには記憶に残る女性の名前が。
その彼女が自己破産を申立てすることになったという、代理人に就任した弁護士からの挨拶状だった。
数千円の鑑定料の請求書の宛先を頼りに、私のところまで辿り着いたのだろう。
なぜ彼女の名前が記憶に残っているのかと言うと、その同情に余りある状況と、それでも前向きに生きようとする健気な姿勢が印象的だったからだ。
「がんばって」の言葉しか見付からず、心の底からエールを送った遠い日の会話が蘇って来た・・・・
人身事故を起こし、相手を死なせてしまった彼女。
傍にいて励まし支えてくれるはずの、婚約者に去られてしまった彼女。
傷心の末、心を通い合わせる異性とついに巡り会い、一時の安らぎを得たと語っていた彼女。
自己破産なんかに負けないで欲しい。
がんばって生きるんだよ。
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